本郷新の時間に触れる ―目・手・耳で創造する彫刻の世界
2018年3月31日(土)10:30~12:30
本郷新記念札幌彫刻美術館
記念館および本館展示室



コレクション展「ふれる彫刻・手でみるアート」関連事業。展示作品にさわることができるという展覧会の特性を活かし、視覚障がい者と晴眼者(見える人)が協働して展覧会を鑑賞する実践的な機会を提供する。札幌市内で「見える見えないプロジェクト」と題してアートプロジェクトを展開している冨田哲司氏(美術家)を講師に迎え、視覚障がい者と晴眼者(見える人)がともに展覧会を鑑賞することで、彫刻の理解がさらに深められることを目的とする。
 視覚障がい者と晴眼者による「発見」を共有することによって、作品に関する深く新しい理解を得るプログラム。記念館における本郷新の作品や制作に関する背景知識の学びと、本館における能動的な作品鑑賞を通して、「見える」と「見えない」を越えた先にあるダイナミックな芸術鑑賞を体感する。

【第1部】記念館で本郷新を知る
時間:10:30-11:15 場所:記念館
オリエンテーション

視覚障がい者に対するサポートの仕方について (公益社団法人札幌市視覚障害者福祉協会 小宮康生氏:写真左下から2番目)ガイドの仕方をレクチャーしていただいた後、参加者全員の自己紹介。



かつて本郷新のアトリエであったこの空間で、「本郷新について&道具と素材にふれる時間」と題して、山田学芸員(写真中央) から、本郷新の人となり 、記念館の由来や空間の特徴についてお話をいただきました。



その後、みなさんには見えない状態で粘土を削る道具、石膏を削る道具(彫塑用粘土をさわる、削る) を行いました。



【第
2部】本館で作品にふれる、作品を見る
時間:11:30-12:15



本館の展示室で本郷新の作品を「眼でみる・手でみる」 時間としました。この時間ではペアを組んで、全員が晴眼者にはアイマスクをしてもらい、サポートスタッフが入り3人組になり、「手で見る」時間を一度体験してもらいながら作品鑑賞をしました。 触った時と見た時の作品のギャップや、記念館で実際に触った道具や素材感との関連、または本郷新の作品解説、制作プロセスなどの質問には冨田と学芸員の山田が随時サポートに入りました。




【おわりに】

時間:12:15-12:30



感想や共有の時間を取りました。参加者からは時代背景をもっと知りたかった、もっと機会を増やして欲しいなどより深い学びを志向する意見が聞かれた。



以下に芸術学会誌で発表した山田学芸員との共著『北海道芸術論評』第11号 「芸術に関する実践報告」 ワークショップ「本郷新の時間に触れる―目・手・耳で創造する彫刻の世界」の一部を転載する。かなり長いので興味ある方は是非。

主催:本郷新記念札幌彫刻美術館(札幌市芸術文化財団)、特定非営利活動法人札幌オオドオリ大学
協力:公益社団法人札幌市視覚障害者福祉協会




成果と今後の課題

プログラムを通して、アーティストと文化施設という別の立場にある両者それぞ れに、成果と課題が見いだされた。
まず、プロジェクトを進めていくアーティストの立場としては、前回のプロジェクトにおける新人育成とつながる部分として、作家や学生ではなく、福祉団体や NPO など、アート 関係者以外の分野の人たちと共に企画を組み立てたことは意義深い。しかしながら、ワーク ショップの性質上、通常のギャラリーツアーより手厚いサポート体制が必要であり、その関係づくりから生まれた成果とも言える。そもそも本プロジェクトの目的の一つは、視覚障害 者がアートに触れる機会を増やすことである。そのために、ワークショップ開催の敷居を低 くするには、関係者の負担を軽くすることが肝要である。そこで考えられるのは、文化施設 や美術館が擁する既存の仕組みと協働することである。施設にノウハウが蓄積され、各施設主導の自律的な活動の窓口、核となっていくならば、今後の発展的な展開も容易になるだろう。プロジェクト主催で美術館等の文化施設を対象にした出前ワークショップをきっかけ とし、ネットワーク構築を進め、今回制作したガイドブックのようなツールをより汎用性の高いものにするなど、ノウハウや成果をフィードバックする継続的な仕組みづくりを考えたい。 反面、このような「誰もが参加可能」な敷居の低さは、全体の把握やハンドリングが難 しく加えて事後的な質の評価、成果物としてのアーカイブの困難さといった側面もある。 本ワークショップの最後の「おわりに」のパートで共有した参加者の感想には、「鑑賞により多くの時間が欲しい」「作家が置かれた時代背景を知りたかった」など、より鑑賞を深めたい、もっと知りたいという意見が多数あり、一歩推し進めた学び要素の強いエンゲージメントやコミュニティの可能性も感じることができた。
 今後の方向性としては、1点目として、ソーシャルエンゲージメントの観点から既存の公共文化施設と連携し、多様な人たちと出会い、アートの入り口となる ようなオープンで敷居の低い継続的な仕組みづくりや場づくりを試みること。2点目としては、プロジェクト主導で、専門性を高める学び要素を重視したサイトにフォーカスしたアイディア重視のオフミュージアムの取り組みをおこなうことである。この両輪でプロジ ェクトを進めて行きたいと考えている。

 一方、触覚芸術である彫刻をはじめとした立体芸術の紹介を使命の一つにする彫刻美術館としては、今回のワークショップの企画と運営により、講師の冨田を介して小宮氏や越山 氏と連携できたことは、これからの触る展示や鑑賞会のあり方を考え実践するにあたり大 きな後ろ立てとなるように思われる。とりわけ印象に残っているのは、企画の過程で越山氏 がおっしゃっていた「視覚障害者にとって彫刻を目の見える人と一緒に触って鑑賞するの は、答え合わせのようになる可能性がある。そうなると障害がある人にとってもない人にと っても、広がりがなく面白味のない鑑賞になってしまう」というお話である。視覚に障害の ある人が触っているある彫刻を、目で見た人が「これは男の子の顔です」と言ってしまって 終わり、という鑑賞のあり方への危惧である。そのような閉じた体験になることを避けよう と、今回のワークショップでは、視覚に頼って作品を見ることに慣れているがゆえに、彫刻 についても同様に見て、少し触って「理解した」と思ってしまいがちな人と、触覚によって 情報を得ることに長けた人の感じ方とを対話によって共有することで、新たな鑑賞体験を得られる機会になるように試みた。また、記念館での活動に象徴的に表されるように、モノとしての、いわば成果物を作りあげるようなワークショップではなく、鑑賞する時間をともにし、そのプロセスの中で得られる「形のないもの」を重視した点も今回のワークショップ の特徴であった。
 この「形のないもの」を共有するために重要なものが、ここでは「対話」、つまり言葉で あった。これに対して、作品を鑑賞し「感じる」ことの醍醐味は、言葉にできないほどの感 覚が心に迫ることであり、だからこそ感じたことを言葉にしなくてもよい、あるいは言葉に したくないと思わせられるのだという議論もまた、あり得るだろう。しかし本ワークショッ プでは、感じたことをあえて言葉にし、その言葉のやりとりを通じて作品や本郷新の制作に迫ることを目指した。たとえ言語化の過程で、感じられたことの幾分かが失われてしまったとしても、作品を鑑賞して得られた感覚のすべてを言い表せないというもどかしさそのも のを感じながら、絶えず言葉を重ねる、ともに鑑賞する人の言葉に応じる―その営みを体験すること、それが「鑑賞」であり、作品への「理解」へと近づくための道筋であると考えた。
 触覚によって鑑賞することのできる彫刻専門の美術館としては、こうした事業の積み重ねにより、障害の有無にかかわらず作品を深く鑑賞できる場を作ることが求められるだろう。実際、作品にふれることのできる展覧会の会期中は、視覚に障害のある方の来館が特に 多い。その他にも、札幌市内の小学 5 年生を美術館に招待するハロー!ミュージアム事業の一環として、平成28年、平成29年と北海道視覚支援学校の児童が来館している。
彫刻美術館のもう一つの使命である本郷新の顕彰という視点においても、彼の著作である 『彫刻の美』の記述に立ち返りながら展示を構成することに加えて、今回のように動的な関 係性や場づくりを中心に活動しているアーティストと連携したワークショップをおこなうことで、本郷新の作品を多角的に体感する機会を生み出すことの意義が見いだされた。

なお今回は、彫刻美術館に初めて来館する参加者がほぼ全員を占めた。これは、新しい知 識や体験を得たいと考える市民層と密接なつながりをもつオオドオリ大学に参加者の応募 に際し協力を仰いだことで潜在的な来館者層にアプローチすることが叶ったという経緯が ある。こうしたワークショップの開催をきっかけとして、これまで来館したことのない市民 にも魅力を訴えかけることができるということがわかった。
彫刻を一部の愛好家の邸宅や美術館の中に閉じ込めることなく、誰もが鑑賞できる野外に 解放しようと生涯挑みつづけた本郷新の作品であればこそ、今に即したかたちで、その鑑賞 の機会を広く柔軟に設けていく方法を模索する必要があるだろう。


TOPへ戻る>